2020年年頭に当たって

掲載日:2020年1月6日
特定非営利活動法人ITコーディネータ協会
会長 澁谷裕以
 
新年明けまして、おめでとうございます。いよいよ東京オリンピックの年となりました。この国の良さがフルに感じられるオリンピックとなることを期待しています。協会も今年設立20周年を迎えます。「第2の創業」を加速し、ITコーディネータの活躍がより広がる年にしていきたいと思います。
 
さて、この正月休みは年末に出版されたばかりの菅付雅信『動物と機械から離れてーAIが変える世界と人間の未来』を読みました。2005年にカーツワイルが「2045年に技術的特異点(シンギュラリティ)がくる」と予言し、それ以来「どうも2045年にAIは私たちより賢くなるらしい」との風潮が広まって、どこか落ち着かない気持ちでした。菅付さんが「人間は、わたしたちより賢くなると言われる機械に対して怖れを抱かず、大いに愚かさも兼ね備えた人間という存在に尊厳を持ち続け、これから到来するであろう、機械によって労働時間が激減する社会に対して、生の充実感を持って生きていけるのだろうか?」との問題意識をもって世界中50人の最先端の研究者にインタビューしながら考察したことをこの本で共有してくれたことで、この問題についてとても整理された気がします。
 
生命の本質、あるいは知性の本質にあるのは「自律性」なのだそうです。自律的に行動し、意思決定できることが生命や知性の本質だと言います。人工生命の研究者である東京大学の池上高志教授は、将棋や囲碁のように「一元的な価値に特化したIQテストのようなメジャーで人の知性を超えるもの」はいくらでもできる。でも、そこでAIが勝ったからと言って人の知性を超えたことにはならない、と言っています。
 
「ウォズニアック・テスト」というのがあるそうです。アップルの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアックが提唱した、機械の自律性を検証するテストです。それは、「見知らぬ家に行って、コーヒーを入れることができるか?」
 
というものです。これはとても面白い。人は皆、「常識」で、初めての家でも「台所」をすぐに見分けることができ、コーヒーメーカー、あるいはドリッパーやヤカンを見つけて、コーヒーを入れることができます。この「常識」をAIに教え込むのは至難の業だといいます。常識とは、「積極的に考える必要のないことに関する知識」だからです。そして、「常識を構築するためには想像力が必要」なのです。想像力の根幹にあるのは「好奇心」でしょう。しかし「機械には好奇心がない。好奇心がないと、未知なるものとは出会えない」のです。
 
本当に人間を超えることができる「汎用型AI」をつくるのは至難であることがよく判ります。実は今まったくその道筋は見えていないのだそうです。しかしながら、あらゆる領域で個別の機能に特化した「特化型AI」が活躍の場を広げ、取り分け「ルーティン」的な仕事を代替していくことは間違いないでしょう。
 
産業革命期の「ラッダイト運動」以来、新しい技術が仕事を奪うということに対して人類は数々の抵抗を試みてきました。しかし、これまでは産業が発展し、新しい職種が生まれ広がるなかで、人は代替の仕事を見つけ、この問題は自ずと解決されてきたのです。AIが怖いのは、おそらくルーティン的な仕事はすべて代替する力を持っていることです。残されるのは、想像力や感性を駆使した高度な判断力を必要とする仕事だけということになると、AI時代に充実した仕事を持てる人はかなり限定的になってくると思われます。
 
菅付さんの本の中でも、「ベーシック・インカム」政策のことが繰り返し語られます。それは、多くの仕事がAIで代替されるようになり、一日3時間、週に15時間働けば十分という時代になると、多くの人が仕事の収入だけでは食べていけなくなるので、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている現金を定期的に支給する必要があるというものです。現在行われているアメリカの大統領選挙のなかでも、この政策を主張する候補者がいるようです。さらに、人は山のようにある「暇」に耐えられるかという問題もあります。ケインズは1930年にこういう時代が来ることを予測し、「人はみな懸命に努力するようにしつけられてきたのであり、楽しむようには育てられていない。とくに才能があるわけではない平凡な人間にとって、暇な時間をどう使うのかは恐ろしい問題」だと言っています。
 
どうやら私たちはAI時代の幸せとは何か、働き甲斐とは何か、AIとどのように共存していけば良いのかという大きな課題に直面しているようです。DJでもあり、サーファーでもある慶應義塾大学の徳井直生教授は、こう言っています。「気づかないうちにAIによってコントロールされている領域が日常生活のなかでも増えていきます。それに対して無理にコントロールしようとせずに、提示されたアイディアや問題点を受け入れて咀嚼し、柔軟に対応していく姿勢が問われていくんじゃないかと思っています。ただ、そこでAIに任せない部分も必要になります。“ここから先はAIに委ねない”というコントロール、いい波を選ぶ感覚が大事になっていくのではないでしょうか。流されたり溺れたりしそうになったら、海から上がるという選択肢を取れるように意識する必要があると思いますね。」
 
菅付さんは、最後に、この様々な示唆に富んだ本を次の言葉で締めくくっています。「人間が人間らしく生きることを、AIという鏡のような存在を凝視することで、より深く考えよう。動物でも機械でもない「わたし」を考える時間と場所を確保すること、それがとても大事で、肯定的な時間であり体験だと思えること、それがAIと共生する時代における幸福なのではないかとわたしは考える。」
 
経営とITの支援者である私たちITコーディネータにとっても、これは益々重要な課題になってきていると思います。今、私たちは人類が初めて経験するような思考の踊り場にいるのではないかと思います。だからこそ、一人ひとりが人間としての感性を存分に働かせながら、AI時代の幸福とは何かについて深く考えていくことが大切なのではないでしょうか。
 
 
 

 

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