事例本文(極東産機)

出典:ITSSP講演事例 IT Coordinators Association
事例本文
事例番号:4 極東産機(株)   事例発表日:平成12年1月27日
事業内容:畳・襖生産機器・内装機器等製造
売上高:94億397万円
1997年9月
従業員数:320名 資本金:4億1500万円 設立:1948年10月
キーワード 自動化機器製造、省力化機器製造
自動倉庫、職人芸の自動化、生産管理、
CAD、CAM、ネットワーク構築
情報を活用した業務革新
  
極東産機株式会社 URL:http://www.kyokuto-sanki.co.jp

極東産機(株)代表取締役 頃安新
プロフィール
1931年1月、兵庫県生まれ。54年姫路工業大学卒。56年極東産機専務、69年より社長。67年日本技術センターを設立、社長を兼務。
龍野商工会議所副会頭、協同組合タツノハイテック理事長などを兼任。
中小企業庁長官賞、科学技術庁長官賞、黄綬褒章、その他各機関より表彰多数。
~情報技術が、熟練・経験の技をカバーし、新しいシステムを生み出す~
極東産機は、畳・襖・内装機器などの産業機械と、その情報システムを合わせて製造販売している。
コンピュータと関わりの深い事業を展開し続けてきた頃安氏は、柔らかな発想で関連業界や地域の活性化のリーダー役を担っている。20年近くに渡る氏のコンピュータとのかかわりと、情報化投資の具体的な事例を話していただいた。

■会社概要
私どもの会社の概要をお話します。極東産機(株)は資本金4億1500万円、従業員数320名、事業内容はインテリア関係の内装、工事用機器、畳や襖の生産機械、カーテン縫製装置等の製造、販売をしています。また、異業種交流融合化で生まれた分野の事業として食品機器、特殊産業機器、コンピュータのハード及びソフトの販売なども手がけています。
関連会社には(株)日本技術センターが姫路にあり、資本金3200万円、従業員数130名で、機械、電気、電子、コンピュータソフトの設計、エンジニアリング、技術者の人材派遣等をやっています。

■コンピュータとの関わり
私がコンピュータに関わったのは約20年前のこと。当時会社の売上が20億くらいで、コンピュータ会社の営業マンから、「これくらいの売上があるのならコンピュータを入れるべきだ」とすすめられてもまだ早いと思っていましたが、コンピュータメーカーに勤める友人の頼みで「断りきれない」という不純な動機でオフコンを入れたのです。最初のオフコンは売上と仕入の処理をする程度の簡単なものでした。
私どもは多角化、ハイテク化、情報化の3つのキーワードでやってきましたが、オフコン導入の2年後くらいに、今度はハイテク化のひとつとして畳を作る作業をコンピュータを使ってCAD、CAMで生産する装置を開発し、IBMのパソコン5550を採用し、顧客管理や経営管理のソフトも開発しました。
その販売を始めて3年もした頃、「日本の伝統的産業である畳業界でIBMのコンピュータを使ってやっている」と、IBMのアメリカ本社から私どものユーザーに5550の取材に来ました。スタッフは当地に20日間ほど滞在してビデオと雑誌掲載用の資料を作り上げました。随分PR費用もかけたようで、効果が大きかったと聞きましたが、これがきっかけとなり私どもはIBMの一次特約店としてコンピュータの販売や畳店業務用パッケージソフトの販売を始めました。
その頃SISという言葉がはやりましたが、IBMからコンピュータ導入をすすめられ、伊豆の研修所で勉強させていただきました。そこで初めてコンピュータを経営戦略にどう使うべきかなどの知識を得て、今度は私なりに勉強して、戦略として使っていこうという目的を持って取り組んだわけです。

■オンライン化で営業所開設が容易に
当時、立石電機さんが出していた「パソコン50作戦」という本にヒントを得て、50台は無理でも12台入れて「パソコン12作戦」でいろんな所で使えるようにしよう。これをきっかけに営業所を全部繋ごうと考えました。
専用回線を引くお金がないので、NTTのパケット回線を使って本社と工場と4つの営業所を繋ぎ、オンライン化を図りました。
オンライン化したメリットは営業所が作りやすいということです。今までは営業所をひとつ作るとなると、簿記のわかる女性を一人と、責任者を置いていましたが、オンライン化となってからはパソコンのキーボードの叩ける女性を1名採用し、後は現地採用で二人もいればOKということになりました。
その後2、3年のうちに6営業所を増やし、現在の10営業所体制ができたのですが、これはパソコン戦略のおかげです。
1カ所、営業所を作ると月3000万円くらいの売上が上がる、という調子で会社は順調に発展を遂げ、売上高は50億円規模になりました。
導入当初のエピソードをひとつ。データの容量が大きくなるとストップしてしまうトラブルが発生し、NTTとIBMで修理にあたったがなかなか直らない。すると、IBMのアメリカ本社からハードのプロとソフトのプロが2人派遣され、これが大学を出て2年という若者達でした。そんな経験の浅い者が難しい修理に派遣されるなど、日本では考えられないことです。やはり大学教育のあり方の違いでしょうか。社会に出てすぐ通用するような教育といいますか。彼等は1週間で見事に直して帰国しました。当時、同じトラブルが日本ではもうひとつ広島で、また西ドイツでも起こったと聞きましたが、原因はよくわかりません。龍野局の機械が古いことも影響したのかもしれません。

■情報化投資の決断
関連会社の日本技術センターでは昭和61年に本社社屋を新築しました。
その時からCAD導入の話が出ていて、いろいろ検討していたのですが、ある会社から3000万円程度のCADシステムが提案されている中で、IBMからは1億8000万円もするロッキード社が開発したCADAM(キャダム)というCADシステムを勧められていました。それで、私なりに熱心に勉強し、大学の信頼できるアメリカ通の恩師に相談したり、社内でも討議したが、とてもそんな高額な投資は無理だという流れだったのを、私が強引に押し切った形で、結局IBMに決めました。
1億6000万円の建物を建てて、その中の1室に入るシステムが1億8000万円、月々のリース料が380万円。誰が考えても無理だというようなことを敢えてやりましたが、みんなが一所懸命やってくれて2年で採算がとれるようになり、4年後には次の機種に取り替え、最初に導入した古いCADは、CADがまだなかった極東産機で活用することにしました。日本技術センターの本社ビルは第1ビル、第2ビルと2つにまたがっているので、それぞれのビルと阪神支店と東京支店、この4カ所をオンライン化しています。社内はLANで直接繋いで、ファイルサーバー、Notesサーバー等を置いて、132台のクライアントが接続されています。阪神支店と東京支店はWANですがインターネットを利用するというシステムで今は稼働しています。
こうしてCADベースで新しい取り引きが大日本スクリーン、森精機、村田機械、神戸製鋼等と始まりました。うちの会社は規模は小さいけれどもCADAMというベースで話ができるということが強みでした。今振り返ると、思い切ったことをやったなと思いますが、やってよかったと実感しています。
今は3次元CADの勉強をしようと、日本技術センターでも取り組んでいます。

■光ファイバーによるデジタル専用回線KS-NET構築
その後、極東産機においては、パケット回線では通信量が少ないということで、光ファイバーでデジタル専用回線を使って極東ネットワークというのを作りました。
工場、営業所、事務部門、研究開発本部、2つの配送センターが各拠点内の構内LAN(事務処理LAN、設計LAN)および拠点間のネットワークで繋がれています。本社と関東事業所にIBMホストコンピュータを分散配置し、不測の事態に備えたデュアルシステムを採用し、拠点間は光ファイバーの専用回線で全部繋いでいます。また、メールサーバー、FAXサーバー、インターネットのドメインサーバーを完備し、自社でホームページを立ち上げるとともに、今200人くらいの社員にメールアドレスを持たせて、社内連絡に使っています。営業マンは、各自ノートパソコンを携帯して、出張先から本社サーバーへアクセスして、営業指示を受けたり営業報告を行ったりしています。
光ファイバーによる専用回線ですから、どこに電話をかけるにもうちの光ファイバーの通っている所、つまり相手先に最寄りの営業所からかければその金額だけで済みます。本社から札幌のお客さんにかける場合でも、本社-札幌間の電話代は高いが、本社から札幌営業所に繋げてそこからかければ市内通話料金で済むよう合理化につなげているのです。
ここまでにするのに、約15年かかっています。
では、15年間でここまでやるのにいくら情報技術投資したかといいますと、リース料、設備をキャッシュで購入したものの償却、社内でソフトを作る人件費など含めて、7億5千万くらいです。
今では、だいたい売上の1%くらいを情報投資にしてやっていけたらいいと思っています。

■自動ラック倉庫による配送体制の確立
こうして当社の情報化の体制を整えてきたわけですが、有効活用はこれからだと思っています。
まず配送関係。平成5年に本社内に自動ラックの立体倉庫を作りました。スタッカークレーンが何台か配置され約2000アイテムの商品をそこに詰めて、全国どこからでも注文があれば即発送します。北海道以外はだいたい翌日到着というシステムを作りました。自動ラックを動かすのは各営業所の女性事務員で、代理店やお客さんから来た注文をパソコンに打ち込むと、スタッカークレーンが自動的に動いて品物を取り出してきて、それを用意しておけば夜、配送業者が来て持っていくわけです。
ところが、平成7年の阪神大震災の時に3日ほど品物が送れない状況になったことから、平成8年に関東にも配送センターを設けました。ミラーリングといって、関西と関東それぞれの配送センターの片方がだめになったらもう片方から自動的に全国へ送れる仕組みになっています。
工場における生産管理は非常にうまいものを作りました。

■生産管理システムCAMCSの構築
生産に対する情報化の取組みとしては、生産現場の稼働状況、機械加工の工場、組立工場、設計など、CAMCS(キャムクス)という端末を置いて、それが現場の状況を全部キャッチして事務所のコンピュータにデータを入れ原価計算から工程管理まで全てができるシステムを構築しています。
これは、自社内だけでなく、その後商品としても好評をいただき、兵庫県内では10数社、他にも大阪、京都などで採用していただいております。

■畳製造業への導入 ~コンピュータが職人の世界を革命~
今、特に力を入れているのは業界への特化です。当社のお得意先である全国の内装業者さん、畳屋さんでは、後継ぎがいなくてやめざるをえないところが出てきています。そういう所にコンピュータをひとつ入れることでがらっと考え方を変えることができます。
まず、コンピュータによって営業、顧客管理をやり、チラシ作成をやり、計画を立てて経営管理もやります。それから、そのコンピュータで部屋の割り付けをして畳の図面を描き(CAD)、そのデータを光ファイバーで送り機械を動かす(CAM)という一環した畳製造のシステムを開発し畳屋さんに導入しています。畳の職人さんは5年10年やらなくては一人前にはなれません。寸法を図るにも何寸、何尺、何分という世界です。このいちばん小さい単位が1分(約3ミリ)、それより小さい目盛りはありません。それで非常に正確な品物を作るのですから大変です。畳は1畳ごとに全部違います。大掃除で畳をあげた時、入れる順番を間違えたら畳が入らなくなったという経験があるかと思います。敷居にあたっている部分が微妙にゆがんでいたりしますから畳職人の技が必要でした。畳がピタッと入るように作るには経験と勘と熟練が必要となるわけです。それを、私どもでは、特種な測定器を使って何畳の部屋でも0.3ミリの単位で測れて、それをコンピュータに差し込んで操作すればCADで図面ができるようにしたのです。このシステムがあれば、たとえば息子さんが高校卒業して後を継ぐと言ったら、1週間研修を受ければもうそれできちんと仕事がこなせるのです。
鉄工所では旋盤工、フライス工のベテラン職人さんが一番給料が高かったものです。それが今では高校を卒業して研修すればNC旋盤、NCフライス、マシニングセンターを3台くらい使ってこなしています。当社がそれと同じシステムを、畳業界で開発したわけで、つまり、今まで経験、熟練、勘がなければできないとされていた部分をコンピュータとメカトロ技術に置き換えていくことを、今私どもがやっているわけです。襖業界、カーテン業界、内装業界、食品業界でも同様のことをやりつつあります。

■新規事業への取組みの一例
龍野市で異業種交流会(14社)を作り、融合化に発展し、(協)龍野ハイテックを作りました。龍野の地場産業は醤油と素麺ですから、それらがどんどん売れるようにということで、うどん・素麺のダシを自動調合するディスペンサー、素麺をゆでる機械を作って、融合化共同事業団で優秀製品賞を受賞しました。この事業化を当社が受け持ってやっています。
更に今では機種が増え、味噌汁を作る機械、コーヒーのディスペンサー、タコヤキが自動的にできる機械、ボタンひとつで3種類のラーメンのスープができる機械などができています。一例ですが、ダイエー、ジャスコでは、今まで人が変わると味が変わって困っていたが、これなら人が変わっても安心だと評価していただいています。

■情報技術の活用はトップの決断が不可欠
情報技術の活用をどのようにしていくか、について当社が取組んでいることを申し上げます。
まず、これまで投資したものが現在どのくらいの経費でどのくらい成果をあげているかを徹底的に計算し、有効活用することが大切です。
当社では現在インターネットと組み合わせた新しいシステムに取り組んでいて、ソフトも完成して、4月から何カ所かで稼働させてみる予定です。こうした新しいビジネスモデル(ネットビジネス手法も含めて)が日本でも特許をとれるよう、特許庁が1月7日に公表しました。私はかねがね、アメリカではビジネスモデルの特許が600くらい取れていると聞いているのに日本はどうしてできないのか不満に思っていました。今回、早速に弁理士に特許申請の手続きを依頼して出願を終りました。
当社のネットビジネスは、一般の消費者から受注する所が受注webという端末を持ち、材料を供給する所が供給webの端末を持ち、施工する業者は施工webを持つという形をとり、その中央にwebサーバーがあってこれらを管理するというものです。3者が寄ってそれぞれの弱点を補いこの管理webで全てをやってしまおうということを考えています。なぜ、私どもがやるかと言ったら、私どものお客さんに仕事をうまく安定的に供給するためなのです。そうすればお客さんがどんどん繁栄していくことになります。私どもの畳店のお客さんは全部コンピュータを持っていますので、インターネットを使用し、極東ネットに繋がせています。そして、至る所でコンピュータのセミナーをやっており、コンピュータを使って商売することをお客さんに身につけてもらっています。このようにして、私どもとお客さんが一緒に発展していける方向を目指しているのです。
情報化により産業構造が大きく変わります。そこで大切なのはリーダーシップ、トップの決断です。私がやってきたパソコン12作戦、CAD導入、ネットワーク構築、ネットワークビジネスを作る、これらは全てトップの決断なくしてできません。

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