事例本文(ユニオン)

出典:ITSSP講演事例 IT Coordinators Association
事例本文
事例番号:12 (株)ユニオン   事例発表日:平成11年11月29日
事業内容:ドアハンドル専門メーカー
売上高:130億1600万円
2001年3月
従業員数:175名 資本金:4億4800万円 設立:1958年12月
キーワード ドアハンドル製造、
在庫管理、複雑な流通経路、
インターネット販売、Webでの情報照会、エクストラネット構築、バーコード、
リアルタイム在庫
「情報を活用した業務革新」
  

 (株)ユニオン URL:http://www.artunion.co.jp

 (株)ユニオン 代表取締役 立野純三

プロフィール

昭和22年生まれ。甲南大学卒業後、青木建設入社。昭和48年ユニオンに入社。平成2年に代表取締役社長に就任し、現在に至る。(社)日本建築材料協会理事、(社)関西ニュービジネス協議会理事なども務める。

~革新を求めてシステム導入。その効果を使いこなすうちに実感~

バブル経済崩壊後の不況の中でも、ことに苦しんでいるのが建設業界だ。ドアハンドルメーカーとして圧倒的なシェアを誇るユニオンも、バブル期に210億あった売上が今では150億を割る現状にある。しかし、それほど売上が落ちても経常利益の割合は4.7~4.8%くらいをキープ、立野社長自らが自負する評価の高い数字である。そのカギはやはり情報の活用にあった。


■会社概要
私どもの会社は1958年に先代・立野一郎が興しました。以前は立野商店という建築の金物の卸をやっていましたが、将来性を考え、ドアハンドルの専門メーカーとしてスタートしたのです。資本金は現在4億4800万円、社員数170名。パートは15名。売上高は99年3月期で136億円です。大阪に本社を構えており、支店として大阪、名古屋、東京がございます。その他全国に私どもの代理店があり販売をしております。業務内容は、建設環境金属製品の製造販売メーカー。と申しましても、工場を持たない「ファブレス」いわゆるブランドメーカーです。今日皆さんがこの会場に入ってくる時にさわったドアハンドル、それを専門にやっており、その他にクロゼットドアやアルミパネルなども取り扱っております。取引先としましては全国の建設会社やサッシメーカーに販売をしており、ドアハンドルはアメリカや東南アジアに輸出もしています。

■シェア8~9割、工場を持たない専門メーカー。
設立当時は、それまでドアハンドル専門のメーカーというものがなかったので、設計事務所などから大変かわいがっていただき、伸びてまいりました。ちょうど日本の経済成長にのり、建築ブームでもありました。シェアは当時で80%、今では90%近くではないかと思います。つまり、建物が建ちますとそのドアハンドルの9割は私どもの製品がついていることになります。ただ、ドアハンドルだけでは将来の発展がない、ということで、73年にクロゼットドアをアメリカから持ってきて取り扱いを始めました。スチールの扉で観音開きのものです。ちょうど私がユニオンに入社して何かやりたい、実績を残したいと思っていた時で、アメリカで出会って「これだ!」と思ったのです。その当時アメリカで月10万セットくらい売れていた商品でしたから日本でも将来必ず売れるだろうと。現在でも言えることですが、アメリカで流行したものは何年か遅れて日本でも取り入れられることが多かったものですから。しかし、石油ショックがあり5年間ほど全く売れませんでした。私自身がそのクロゼットドアのサンプルを持って走り回ったことを思い出します。設計事務所などを回っては「これを使って下さい」とお願いしたのです。そんな状態でしたが、石油ショックが終わると同時にやはり新製品を使いたいという世の中の流れが起こり、爆発的な売れ方を見せることになりました。その後、その他にも車止めや消火器ケースなど、多角化を目指して、いろいろなことをやっています。

■時代の荒波を受け、課題が山積み。苦しい経営の中で決意したものは・・・
バブルの頃は我々の業績も非常によく伸び、売上が200億を越えた時期もありました。最高で210億だったでしょうか。それから徐々に売上ダウンとなり、93年ちょうど設立35周年を迎えた時に「このままではダメだ、何か、我々の社員全てが共有するビジョンを持たなければならないだろう」ということで、「アートウエア21」というキャッチフレーズで長期ビジョンを作りました。我々の商品はまだまだ手作りの部分が多いのですが、やはりこれからはもっと一人一人お客様のニーズに合った商品づくりをしていかなければならない、もう一度クラフトマンシップを持って商売をしていこう、という「クラフトマンシップ」。お客様のニーズをくみ取り新しい商品開発をしていこうという「クリエイティビティ」。我々の営業はプロの人に商品を売り込むのですから営業マン一人ひとりがその相談にのれるコンサルタント、プロの営業マンになってほしいという「コンサルタント」。それぞれの頭文字cから3cとして掲げて、これで会社がよくなっていくと思ったが、甘かった。ますます営業成績も非常に厳しい状況になり、ここで大きな業務変革を、プロジェクトチームを作ってやろうと。これが我が社の情報化取り組みのきっかけです。
初めてコンピュータを導入したのは12、3年前でしたが、97年からエクストラネットを稼働させ、99年にはISO9001の取得をいたしました。3年ほど前から営業に行った先で、ISOを取得しているか、あるいはその意志があるか、という声を聞くようになり、今後の商売上どうしても取得せざるを得ないということになりました。21世紀に企業が勝ち残っていくために、全社員でがんばって取得しようと、1年間かけて取ったのです。続けて2000年1月からは14000の環境のものを取得する準備を始めています。
我々のビジネス構造として自社では生産設備を持っていません。我々で商品の企画、開発をして、生産は60社ほどある協力工場がしています。商品は全てユニオンのブランドとして展開。最終ユーザーまでは非常に複雑な流通経路であることも事実です。こちらから設計事務所やオーナーさんのところへ参りましてドアハンドルやクロゼットドアを指定していただくこともあれば、流通である販路においては卸売業、建材メーカー、施工業者などが関わってきます。あるいは全国の代理店が建材メーカーに売るケースもある。これだけ複雑な流通について情報化による対応を考えて効率を上げてほしいというのもプロジェクトのニーズの一つでした。
それと、当時の経営の課題として、バブルが弾けてから建設業は非常に厳しくなっており、当社の売上も悪化しました。平成3年には210億だったものが、平成7年には176億、特に激しく落ちたのは平成10年の161億、それから平成11年の136億と厳しさが増すばかりでした。さらに、最終的に買っていただくサッシメーカーやゼネコンからの価格への要求が非常に厳しくなりました。景気のよい頃はいかに付加価値を高めるかということでデザインや材質を追求した商品開発を行ってきましたが、最近は機能第一で価格にこだわる傾向にあります。併せて市場のお客さんの考えているものが見えにくくなってきましたし、その上短納期が増えたり現場の決定がますます遅くなり在庫がなければ他社に行ってしまうことが増えてきました。又、好景気の時には見えなかった営業マンや資材分野のミスが表面化してきたり在庫の回転率がかなり低下し、これらも何とかしなくてはならない。そんなこんなでこれらの問題点を解決するために情報化をしようと決意したのです。インターネットを利用しながら在庫管理がしたい、いかにお客様のニーズにお応えしていくか、そういうものを構築しようと。

■三者が一気通貫のシステム、エクストラネット

エクストラネットと申しまして、工場、自社、顧客を一気通貫でつなぐのが当社のシステムです。外部の工場で作った製品を我々の倉庫に入れる。そこから代理店やゼネコンに納入する。それをインターネットを利用して外部の人たち、つまり得意先から我々の倉庫を見て在庫があるか確認してもらう仕組みです。協力工場も、自社の各製品の在庫がどれだけあるか見られます。受注から出荷まで確実に対応でき、お客様へのサービス度も上げることができました。こうして長年の懸案であった在庫問題の解決を図りました。現在私どもができているシステムは、受発注、デリバリーの照会機能で、webを通して得意先から受注をいただきます。それを受けて出荷に回す。その時にお得意様からどういう状況でデリバリーがおこなわれているのか、自分が発注したものがどの状態にあるか、倉庫にあるのかあるいはもうすでに出荷されているか等の情報をお客様の方から我々に問い合わせなくても見ることができます。リアルタイムの在庫もわかり、我々の在庫確認が画面の中でデータとして見られるのです。
今後の課題としているのは、在庫が切れた場合に次回の入荷がいつ頃になるのかということまで画面上でわかるようにしたいです。
それと、そういうwebを利用していないお客様にはFAXを利用しながらお互いにやりとりをするFACE(フェース)という仕組みを用いています。お客様からの注文がFAXで流され、在庫があればそのまま出荷情報としてインプットされ、在庫がなければ受注不可ということで即時にお客様に戻す。ですから、この仕組みにおいては、我々の商品をいかに在庫しておくかが大きなポイントです。そのためにも在庫管理に正確な情報が必要であり、かなり改革されたと思います。
我々から協力工場へ発注しますと、それに対して工場から納期回答が即座に来ます。工場では今まで伝票を手書きしていたのが、全く不要になりました。画面上で受発注ができますから、ペーパーレス化ができたのです。今後は在庫の照会機能や工程の進捗状況まで見られるものにしていきたいと思っています。現在webを使っていただいている協力会社は14社。
以前は営業開始時間と同時にお客様からの電話応対に追われていました。ほとんどが「在庫があるか」、というものです。始業から1~2時間はその類の電話が集中し、営業マンも出かけられないような有様でした。それが、webやFACEの利用によって電話の本数が減りました。営業マンも始業時刻の9時から営業に回れるということで、業務効率が上がりました。




■システム導入までの道のり


次に我々が取り組んだプロセスをご紹介しましょう。まず96年にプロジェクトチームを編成しました。それぞれの部署から、日々いろいろな問題を抱えている現場の人でかつ若い人たちに参加してもらうという主旨で10人ほどで編成し、プロジェクトを優先するために日頃の業務からははずしてもらいました。それに併せて組織を大きく変えました。今までどちらかというと順調に業績が伸びていたのであまり個人目標云々とは言わなかったのですが、これを機にそれも変えようと会社の幹部全員に目標管理制度と年俸制を導入したのです。現在では一般社員にも目標を設定してもらい、半年ごとにそれを査定しています。全て私が面接し、その目標に対してどう達成しているかを聞き、次年度の年俸を決めています。
業務も見直そうということで、東京、大阪、名古屋の支店でやっていたことを、3部門制としました。管理本部、営業本部、商品本部という3つの本部制を敷き、それぞれに本部長を任命し、責任を持ってもらいました。
また、プロジェクトチームが考えるシステムをいかにスムーズにやるか、ということのために、96年に全営業マン約100名にノートパソコンを持たせました。今まで営業日報を書いていたものを、これからは私宛てあるいは上司宛てにEメールで送れ、と。システムが稼働した時には各自が使いこなせるように、ということで。97年にまず工場の商品フォームにおいてシステムの部分稼働となり、97年の終わりには全面的にエクストラネットの稼働となりました。

■徐々に現れたシステム導入によるメリットの数々
それから2年たち、情報化の効果は随所に出てまいりました。特に受注の機会喪失が非常に減少しています。やはり在庫が大切、このwebのシステムを活かすために既存品の在庫を切らさないようにしています。ドアハンドルが1800種類、クロゼットドアが1000種類、それにレバーハンドルとかいろいろなものを含めると10000近くの商品がありますが、それらの既製品をいかに切らさないでwebあるいはFACEによる注文に応えていくか。在庫を切らさないことが大きな基本です。
webの情報が生産管理のほうに活かされているのではないか、とも思います。システム導入時にバーコードを利用しました。それまで工場から出荷の際に人の目で商品を選んでいたので出荷ミスが多かった。バーコードによってそれが解消され、業務の標準化と言うのでしょうか、数字的に非常によくなりました。在庫の欠品率は96年に8%くらいあったものが、webやFACE稼働の98年には2%まで下がった。それから、受注ミス、出荷ミスによる返品率は、96年に1.8あったものが、現在では0.3まで下がっています。ちなみに経常利益は、97年には4.9%、売上が176億ですから約9億弱の経常利益を上げています。99年3月の売上は136億で、経常利益が約6.5億ですから4.8%くらいです。売上がこれだけ落ちていながら経常利益がこれだけの率で保てているのも、システム導入の成果です。
先ほど言いましたようにweb利用の協力会社は14社、FACE利用は200社近くとなっていて、社内における受注業務や商品本部の仕入れ担当業務などの人数は減っています。以前は受注担当者が20名強いましたが、今では2割近くの減。商品本部も、やはり20人くらいだったのが今は13名。その分の人員を営業などの重要なところに削くことができた点からも、非常に効果を実感しています。
今後の課題としては、webによる受注の拡大が挙げられます。それに伴ってペーパーレス化も進むといいのですが。私どもが最終的に描いているのは、営業マンがノートパソコンを持ってお客さまのところに行き、それを使って見積もりをしたり、図面の打ち合わせをする姿です。今、KISS(建材情報サービスシステム)あるいは建設CALSという通産省、建設省による建材の標準化などが行われていますが、そういうものにもこのwebで参画していきたいと思います。

■即効性より活用性。インターネットこそ革新のカギ。
振り返ってみて、自社のシステムに取り組もうという時にまずいちばん大きな問題になったのは、私どもの社内にプロがいないということでした。コンピュータのソフトを組む、そういうことがわかる人間がいないということです。どうしても外部に頼らざるを得ない。コンサルタントに頼む時点では、このシステムで何をしたいかが明確になっていないといけません。それには1年くらい十分に時間をかけてやる必要があり、社内でもプロジェクトに対して日頃の業務から抜いてでもそれに取り組ませようという強い姿勢が必要です。それができたのは幸運でもありました。
また、やっとの思いでシステムを構築して導入しても、メンテの問題があります。一度入れたらそれで何年間もシステムが動くとか、そのパソコンの能力が保てるかというとそうではありません。営業マンあるいは管理あるいは商品本部などから「こういうシステムを加えてくれ」「ここを少しこういうふうに改善してくれ」というような声も挙がってきます。それに対して誰か人を使いながらソフトを組んでもらう、それにもお金がかかります。ちょうど3年前に営業マン全員に渡したノートパソコンを昨年秋にバージョンアップをしシステムを少し変えました。その費用が5000万円、大きな額です。
やはりシステムを導入したら、日々使いながら改善していくことが大事です。現場の声を聞きながら改善し、いかに自分のところにとって使いやすいシステムにするか、それなくしては何の役にも立ちません。
私自身新しいもの好きでして、10何年か前に東京、名古屋、大阪の3次元でテレビ電話の会議を取り入れました。出張がいらなくなる、などと考えていましたが、時期尚早、ほとんど利用されませんでした。それが最近になって活用されるようになりました。webも然り。3年、4年たってようやく自社にマッチしたものになった時にこそ、ものすごく大きな効果が出てくるように思います。早急な効果はむずかしい。営業マンにノートパソコンを持たせたことについても、営業のツールとしてお客様のところへ持っていき情報を入れてくる、それをいち早く私が見て経営判断に活かせる、お客様が何を望んでいるか、これからどういうものを求めていくか、を知って商品開発が進められる、ということができるようになってきています。これまではお客様のニーズよりユニオンの考えでモノを開発していました。それが、営業マンが営業先で「ユニオンにこういうものが足りない」「商品にこれからこんなものが出てくるのではないか」など活きた情報を入れてくれるようになったのです。これもエクストラネットを導入した大きなメリットとなっています。
自分の企業を革新するためには、インターネットというものをうまく利用する時代になってきていると実感しています。

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