事例本文(新妻精機/ニイズマックス)

出典:ITSSP講演事例 IT Coordinators Association
事例本文
事例番号:22 新妻精機(株)   事例発表日:平成12年9月2日
事業内容:開発試作加工メーカー
売上高:不明 従業員数:48名 資本金:1000万円 設立:1970年4月
キーワード 試作部品加工、受託型の加工業、
品質保証体制の確立、
CAD、CAM、情報の発信
情報と活用と業務の改革
 

新妻精機(株)/(株)ニイヅマックス

新妻精機(株)取締役営業部長/(株)ニイヅマックス 代表取締役 片桐士朗氏
プロフィール

 昭和47年新妻精機㈱に入社後、工場長、取締役営業部長を歴任。平成2年、(株)ニイヅマックス代表取締役に就任されている。

~中小企業のIT化は情報収集と行動力が決め手~

 日本の製造技術が集約していると言われる東京都大田区。新妻精機㈱はその中でも、大田区を代表する試作の企業として、かなり早くからITに取り組んできたことで知られる。頑固な職人による技術が、売り物のイメージが強い中小企業において、IT化はどのように進み、どのような成果をあげているのか。日本産業界のひとつの縮図のごとく、新妻精機㈱における実例を見てみたい。


■課題が山積している業界において、オンリーワン企業を志向する
  当社は物造りにおける開発、設計領域の設計製作の部品メーカーとして25年の歴史を持っています。
  この分野は新技術、スピード、サービス、コスト等、さまざまな要求に応えるための課題が山積みになっています。さらに、時代の変化に伴うデジタル化への対応なども早急に求められているのが現状です。今後の企業の発展を促すためには、技術的な裏付けや情報技術の取り込みも必要なことはいうまでもありません。また、従来の受託型の加工業には不足がちであった営業促進活動も、大きな鍵を握るものと考えています。産業の枠組みが大きく変わろうとしている今、業界の意識改革のみならず、取引の形態そのものも大きく変わりつつあります。当社は、このような新局面に対して、当社ならではの強味、技術、情報、設備、この最適な組み合わせを実現することにより、開発試作加工メーカーとして、オンリーワン企業を目指して日夜努力しています。
  会社の創業は、昭和40年です。現社長が旋盤たった1台をもとに、この蒲田にて独立して始めました。45年に法人として設立。48年にはオイルショックの荒波も経験し、50年に今の企業の基盤になる試作部門の、試作部品加工の分野に着手することになりました。53年にはMC第1号機を導入。この頃は、新妻精機として、MC導入により機械化がうまく図れるかどうかという節目でもありました。この年から62年くらいまで、年間1億円近くの設備投資を続け、機械設備の拡充に力を注いできました。
  また、61年には二次元CADを導入し、CAD化も図っていきました。CAD導入前は、FAXで図面をやりとりをしていましたが、FAXですとどうしても図面の端が切れたり数字が不鮮明なことがあり、FAXを受け取ってからも、電話で何度も打ち合わせをしなければならない状況が多々ありました。CAD化によりこうした無駄な時間がカットされ、効率化に大きく繋がったと共に、データがそのまま通信で伝わってくるので伝達のミスや見間違いがなく精度の向上にも大きな効果があげられました。

■時代の波に強くなるために設備投資に注力
  現在は、東京と長野に工場があり、合わせてマシニングセンターが40台、NCフライスが8台、放電ワイヤーカット各2台などを完備しています。こうした各種の機械を揃えながら試作部門に専念しています。
  昔から職人は人の技を見て覚えろ、というのが当たり前のように言われてきましたが、そうやって身につけた技術を駆使しても、一人でできる仕事はどんなにがんばってもやれる範囲に限度があるものです。そこで、私はMCの活用により、もっと効率アップが図れるのではないかと考え、取り組んできました。そこで、自分のわかる範囲で、まず新人教育用のマニュアル書の作成を53年から行い、一人前とみなすまでそのマニュアル書を基本として社員教育を実施してきました。
  また、CAD化に伴い、フロッピー、電話回線とのやりとりは平成4年より実施し、平成9年にはパソコンの活用も一層進めました。
  当社が試作加工メーカーに転じたのは、48年のオイルショックからひとつ学んだこととして、景気動向に影響のない仕事はないものだろうか、と考えたことから始まりました。それには人の嫌がるもの、かつ単品ものをやればいいのではないかと、50年より試作部門の仕事へと流れを変えたのです。
  また、先ほど話しましたように、53年からMCを導入した時もかなり大変な状況で、MCというものがそんなに簡単に動くものではないことを現実に突きつけられました。しかし、これを何とか動かさなくてはならなく、今思えば、自分で動かすことを何回も試みた結果として動かせたのだと思いますし、社長があせらず寛大に見守ってくれたことがよい結果を導いたのでしょう。せっつかれずに「そんなにすぐに動かなくてもよい」と言われると、逆に「早くこの機械を動かしてやるぞ」と思いますから。この後に展開するCAD/CAMについても同様のことがいえると思います。
  こうした一連の過程において、プログラムを覚える時に、何かトラブルがあると自分を疑うよりまず機械を疑うことが多いです。これは皆さんにもある経験ではないでしょうか。動かないと機械が悪い、と。しかし、機械はけして嘘をつきません。人間の考え方次第で機械は動くのだということを学びました。
  それを教訓に自分なりのマニュアル書を作成し、より早く技術者を育成し、社内の戦力になるように努めました。技術者が増えれば会社の戦力は倍増していくと確信したのです。もちろん、MCだけ揃えていってもそれだけではなかなか仕事の効率化に繋がりません。

■品質保証及びコストダウン化を実現し、顧客との信頼関係を強化
  ひとつの製品に対する品質保証に対して、お客様の要求が年々強くなっていることを実感しています。当社では、これを大きな時代の流れの柱ととらえ、品質保証体制の確立を図りました。まず、昭和59年に、三次元測定機、工場顕微鏡を導入し、これらによる実験検査体制を確立しました。平成10年には、CNC三次元測定機、CNC画像測定機、歯車の噛み合い試験機等を新規導入しました。その結果、不具合の製品が社外に露出する確率が非常に減少し、製品の品質保証が確立された手応えを得ました。これにより、顧客との信頼関係がより強まり、受注に還元されたことはいうまでもありません。
  さらに、コストダウン化も激しくなっているなか、その対応として、高速制御のMCを導入しました。いかに早く仕事を進めるかの追求と、部品の精度への追求を同時に行うことで加工時間の短縮を図り、時代のニーズに対応できる体制を整えられたと自負しています。
  こうしたマシンの高速化に伴い、3DCADの投下も図りました。3年ほど前から当社には3Dデータで支給されることが増えていましたが、現状として、データの互換性が非常に悪く、苦労して三次元の面を張りながらCAMのほうに持ち込む方法で対処していました。当社では日立造船のグレードというタイプを使用しており、これにデータを取り込み、修正を重ねながらマシンを動かす仕事を本当に四苦八苦しながらやっていました。これではどんなにがんばっても効率化が望めないため、平成10年、新たな設備投資として、ソリッドワークス、アイデアズ、ソリッドデザイナー、キャテア等のCADを導入することにより、3Dデータの受け入れ体制を完備しました。こうして、仕事の流れがプラスの方向に進行している状況にあります。

■電子メールやホームページもおおいに活用
  社内データについては、3年前までは、フロッピーでの受け渡しが主流でしたが、これは無駄が多いため、NTTのINS64の回線を利用して社内におけるデータ通信を行う形にしました。さらにいいものがどんどん出てきて、今では無線通信を使って速度を20分の1に短縮できるまでになりました。
  当社が無線通信を採用した理由としては、大田区の下丸子に工場が6つあり、その6工場に早く正確にデータ送信を行うためです。加えて長野県佐久市にも工場があり、そことは当初モデムを使って1対1のパソコン通信でやりとりしていたのですが、現在はISDNによるメールで送受信してデータ通信の時間を短縮しています。色々やってきて思うのは、年々ハードもソフトもバージョンアップされるため、どれを選ぶかその選択とタイミングが非常にむずかしくなっていることです。
  ホームページも活用し、情報の収集に役立てています。当社のホームページにアクセスしてくるメーカーさんは、技術の情報、または加工について困っている状態のところが多いようです。それに対してお話をさせていただくと受注に結びつきやすいということがあります。つまり、受注の確率はホームページによって極めて高まってきているといえます。しかし、すんなり自社のホームページを開設できたわけではありませんでした。最初は、日経メカニカルという雑誌に会社案内を掲載していましたが、その結果、設計者からの依頼が非常に増加しました。さらに仕事の幅を広げようと考えて、同じ雑誌の中に加工ポータルサイトからの検索で、当社のホームページに接続できる形をとりました。そうして、2000年2月に自社のホームページを開設しました。以前に増して早い検索が可能となり、多くのお客様からの問い合わせや依頼が急増しているところです。
  ホームページのもうひとつの効用として、営業方式への影響があげられます。今までは自分たちから取っていたアポイントが、逆にお客様の方からアポイントを求めてくるようになりました。また、そうして対面した時にも、あらかじめホームページで当社についての概要や、PRポイントなどの情報を得ていただいているので、初めて会ったような気がしない形でお客様とお話ができるメリットもあります。

■厳しい時代にこそ、あえて設備投資で対応する
  当社のある東京大田区は中小企業の工場が集中している地域ですが、営業の拠点としても便利なところだと実感しています。私自身、営業として、茨城、栃木、群馬、長野、山梨と広範囲に車で飛び回っていますが、大田区から都内や地方に出るのは渋滞と逆の流れらしく大変スムーズなのです。
  先ほど、当社の工場が大田区下丸子に6カ所に分かれていると言いましたが、どこか1カ所に集結するという考えを持ちながらも、その場所としてはやはりこの大田区内にすべきだと思っています。
  来年にかけて、さらに設備投資を行う予定であり、この厳しい時代にあえて設備投資を行うことにより、より早く、且つコストダウンが実現できる事業体系を蓄積していきたいと考えています。
  これからも試作のプロフェッショナルとして設計開発に関わり続け、お客様の要求をクリアすること、技術のアドバイザーの態勢を整えそれを発注先へアピールしていくことに重点をおき、「困った時の新妻精機」としてのアイデンティティをもって前進していきます。私どもの経験から得た実感として、中小企業にとって情報化とは、機器や設備を導入すれば情報が入って仕事が効率よくなるというものではありません。日頃から情報収集の気持ちを持ち、機敏な行動力があってこそ、初めて機器やシステムを活用できるものではないかと思います。

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