事例本文(不二精機)

出典:ITSSP講演事例 IT Coordinators Association
事例本文
事例番号:32 不二精機(株)   事例発表日:平成12年10月25日
事業内容:金型製作
売上高:94億7200万円
2001年12月(連結)
従業員数:223名
2001年12月
資本金:9億2400万円
2001年8月
設立:1965年7月
キーワード 金型製造業、
原価管理、
CAD、CAM、構内PHS、ロボット化
情報を活用した業務革新

不二精機(株) URL:http://www.fujiseiki.com


不二精機(株) 代表取締役社長 伊井 稔氏
プロフィール

 1953年生まれ。明星学園高等学校卒業後、大阪厚生年金会館勤務を経て、1971年不二精機㈱入社。1985年常務取締役、1996年社長に就任し現在に至る。

~現場の無人化と情報活用をポイントに、国内から海外へ市場展開~

 昔は職人的要素の濃かった金型産業も、今日では機械化、コンピュータ化の波にのり進化してきている。伊井氏の率いる不二精機㈱もまた、アナログ時代からIT時代へと、幾多の試行錯誤を経験しながら成長してきた企業のひとつである。国内市場の冷え込みにより、海外へ市場確保を図ってきた同社にとって、成功の武器となったIT化のステップをお話いただいた。


■会社概要
創 業 昭和30年3月
設立年月日 昭和40年7月1日
資本金 499百万円
社員数 238名
生産品目 プラスチック超精密金型

■当社のコンピュータ黎明期
  当社は私の父が始めた会社で、金型製作を行っています。昔は完全なアナログのやり方で、図面を書くには色々と計算が必要で、計算機と計算尺を使ってやっていました。昭和50年頃にシャープのMZという組立キットができたので購入したところ、誰でも簡単に計算ができるようになり「パソコンって便利だな」と思ったものです。そのうちにわが社でもNC機を購入することになり、小さい頃からラジオの組立などが得意だった私が担当になりました。これがまた大変な代物で、紙テープに穿孔されるのですが、いちいち交点を計算して打たなくてはならないようなものでした。いつも手元には三角関数表、電卓が必要でした。
  やがて従業員が増え、書かなくてはならない図面も増えていき、NC機もだんだん増えたのですが、いちいちパソコンで計算していては、らちがあかないということで、CAD/CAMを入れたのが昭和58年のことです。当時買ったのはVAXの750です。その時にデータ量の増加に伴い、紙テープ量の膨大さに頭を痛めていたので自己流で、70~80メートルほどの電線で機械の口につないで、1個ずつプロセスを発生させてぐんぐん回す乱暴なやり方で、7台くらいのNC機をDNCで動かすことに成功しました。これは昭和60年のことでした。

■業界特有のいい加減な見積体質から脱却、原価計算管理を
  金型の見積はずいぶんラフで、製品モデルと図面を見ながら手の上にのせてみて、「まあ、このくらいやったら200万かな。ちょっと高いんやったら180万にしときましょ」というやり方が通っていました。図面を書き上げてからでないと工数分解ができないため、図面を書き上げる前の段階では確度の高い見積ができないという状況でした。当時は当社でもかなり忙しく、残業や休日出勤も含めてバンバン仕事をこなしても、後から後から注文がきて、うれしい悲鳴を上げるような時代でした。とにかく1カ月、一所懸命働いたら結果として儲かっているのだからいいじゃないかと考えがちでした。しかし、「そうじゃない、儲かっているやつも、儲かっていないやつもある」。工数で見ますと、だいたい1つの金型に50~60枚の部品図を書いていて、その1つの図面につき7~10工程あるわけですから工程数にすると非常に多いものになります。
  作業日報を書いて集計もしますが、こうした集計もパソコンを使ってやろうということになりました。原価計算ということです。しばらくするとデータが溜まってきて、あそこのお客さんから受けた金型はどうも儲からない、その受注を控えてこちらの儲けのいいところの注文を受注展開しましょうなど、儲かる仕事、儲からない仕事が見えてきました。これが昭和57、8年です。
  そうするとやはり利益率が上がってきました。ちょうどアルビン・トフラー著の「未来の衝撃」という本を読んでかなりものの考え方に影響を受けまして、これからはまさにコンピュータの時代だと実感しました。しかし、コンピュータそのものはまだまだ高価でしたので、大阪の日本橋でよく中古を買ったものです。最近ですと20万円もあればプリンター付でフル装備のパソコンが買えます。5年リースだと月々4,000円くらいでしょうか。

■1人1台以上のパソコン環境を整備
  結果的に当社はどうなっているかというと、現在、従業員数238名でパソコン台数は300台を越えています。1人1台以上です。それとCADの端末が約40台あります。社内のほとんどは構内PHSです。据え付けの電話だと相手が不在勝ちで、なかなかつかまりませんから管理職は必ず1人1機持っています。一般職でもキーになる人間には持たせています。新規契約にしても据え付けの電話に比べてPHSのほうがぐんと安いのです。5年前に奈良工場ができた時、カテゴリー5のインターネットネットケーブルを300本くらい引き、今は電話もパソコンも同じケーブルを使っています。コンピュータ室にPBXとサーバーがあり、巨大なパッチパネラーがあり、そこで電話とパソコンを切り替えています。それでももう空きがなくなってきました。
  なぜ、そんなにたくさんパソコンを使うのかと言いますと、事務系の合理化は遅かったのですが、現場では工作機械の管理などにたくさんのパソコンを活用しています。いちばんたくさんパソコンを使っている人間は1人で6台を使っています。EWSだったら1台でできてしまうことですが、壊れると修理に3日から1週間くらいかかってしまいます。パソコンだとストックがあるから大丈夫です。つまりリスク回避のために汎用品をはめているという展開を選択しているのです。

■人と工作機を増やさずに売上をぐんと増やせた
  今、本社の工場でロボットが7台、松山では5台動いています。だいたい人が1時間働くと10時間動いてくれます。なぜこういうことを考えたかというと、日本の人件費が高いからです。同じ金型でも中級品、低級品は東南アジアにとられてしまっています。彼らの人件費は我々の20分の1です。ですから、東南アジアの人件費で日本の技術を利用する。これしか生き残る途はないということでロボット化を考えたのですが、工作機メーカーに話を持っていってもペイできないとして、乗ってくれませんでした。それじゃ社内でやってみるかとやってみたら結構できてしまったのです。できてしまうと現金なもので、見学にきたり、分けてくれないかと言われました。今後、金型以外の部分の事業として展開していこうと考えています。
  コンピュータの台数が増えだしたのは昭和58年、つまり1983年あたりからです。ソフトの開発やロボットが軌道に乗り始めたのが1992、3年です。この間、人員は200人から220人ベースで変わっていません。

  期末従業員数推移
事業年度 92 93 94 95 96 97 98
期末従業員数(人) 208 220 218 216 218 218 232

  売上高は98年が76億円、99年が90億円(12ヶ月換算値。当期は9ヵ月の変則決算で、実績は67億円)、今期が112億円です。工作機械の総台数は少し減っています。というのは、今まで月に200時間しか動かないところを400、500時間動く機械が年々増えているからです。人員も工作機も増やさずに売上を上げていけるというわけです。
  最近では主力商品として、CDのケースなどの金型をやらせていただいています。さらに、我々が成形機も入れましょう、周辺機器も揃えましょう、ロボットも仕入れましょう、とフルターン機で提供して製品の品質ギャランティをしましょう、という商売を5年前から始めました。これが非常に当たり、去年CDのケースを1社からまとめて70セットを買っていただきました。
 
■海外市場への戦略とは
  金型屋にはあまり大きな規模のところはありません。世界1位がカナダのハスキー社で、ペットボトルの市場で過半数の占有率を誇ります。2位が新潟のキョウワさん、ここは自動車の金型をやっています。3位が当社です。金型屋は規模が大きくなると潰れるともいわれます。我々のようなところでも本社工場で半分くらいの生産量を持っていますが、工程管理の登録されている工程数は4万から5万工程で、常に工程管理の中に入っていて、それが滑った、転んだ、失敗した、という情報が毎日リアルタイムで変わりますからもう大変です。担当者は3カ月で胃に穴があくという状況が続いていました。これのコンピュータ化も、少しずつ階段状に進めて行いました。
  現在、輸出が売上金額のウエートで65%、国内需要がどんどんやせていくので、海外に販路を求めるのです。でも、おもしろいことに海外には製造拠点がひとつもありません。故障したという場合、フェデックスで部品を現地に送ります。現地のそれを技術熟練度の低い方や、現地のオペレータが交換しても大丈夫ですよ、という戦略を5、6年前からやっています。部品の互換性に着目し、例えば50の型があれば50のスペアパーツがいるところを部品の精度がよければ、50型分でも1型か2型のパーツで対応できる仕組みを確立していて、好評を得て輸出が増加しているところです。
  今後、金型屋として生き残っていくには、ロボットとコンピュータの組合せによる無人化を進めるしかないと考えています。ロボットのシステム、工程管理、CAD/CAM、この3つの要素が無人化のキー的要素です。そうして現場で余った人間は首を切るのではなく、設計、営業、技術、お客さんとのフロントの部分に活用していきます。

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